車の話。

僕は十八のときにスクーターを買った。それですべての用事を済ますので、車の運転免許をとるのが遅くなった。二十代も半ばのころにとったと思う。

高校卒業以後は親に小遣いをもらった記憶がないので、よくそんなお金があったなあと思う。アルバイトのせいで留年しまくったので、そんなことなら最初に親に土下座して三百万くらい借りてしまえば、あんなに困らずにゆうゆうと学生時代を過ごして今頃は違った人生になったろう。後知恵というやつだが。

車の免許をとったあと、ずっとペーパードライバーで生きてきた。新しい勤め先にどうしても電車で通うことができず、スクーターで通ったら寿命に関わるほど寒いとなったときに、生まれて初めて自分の車を買った。

新車を買うと納品が何か月後とか言われるだろうし、こっちは身を削る寒さに耐えらえなくて買うのだから待ったなしで、それで中古車を買った。四年ほど前のことで。中年男の時間感覚としてはわりと最近のことだ。

ダイハツのエッセという軽自動車だ。コットンアイボリーという、カスタードクリームにもう少し白を足したような色で、これは発売当時、日本で最も安い車だったらしい。とにかく寒くなければいいのだからこんなので充分だ。

社会人二年目のOLさんが買うような車で、かわいらしい。もう一つ特徴を書くと、車体重量が軽くて出足がいいので、車好きな兄ちゃんが安くで買って思いきり手を入れたりするような楽しみ方もあるようだ。

その勤め先を辞めて、車が必要なくなってからも、なんとなく維持してきた。去年恋人ができて、なんだか不便なとこに住んでる人なので、またすごく車を使うようになった。去年は新車の購入も検討したほどだ。

くそ長いけど実はこの文章はここまでがずっと「前フリ」で、ようは何が書きたかったというと。

「自分がこんなに運転が好きな人間だなんて知らなかった! 中年になってから気づいた!」

ということなのだった。

だって時どき、「流す」こともするもの。「流す」というのは、目的地も決めずにただ運転するためだけに運転することだ。なんかもう無目的に手段だけ楽しむわけで、若いころの僕の合理的な思考回路ではとてもとても納得のできない、わけのわからない行為だ。

中年になってから車を買ったら意外と運転が楽しかったというわけだが、去年の秋に軽い追突事故に遭った。僕は念のため四週間ほど病院通いしたが、車は二週間で治った。

そのとき、二週間、向こうの保険のお金でレンタカーを代車として利用した。ダイハツのムーブだった。

その年の夏に発売された車で、まだプラスチックの匂い(僕らの世代にしか通じないが新品のパソコンの匂いだ)がプンプンする車だった。

スマートアシストとかいう変な機能の一群がついている。

まず、スピードが出てるときにウインカーを出さずに白線をまたぐと、警告音が鳴る。運転を車にダメ出しされる。

次に、停車時に前の車が発車してしばらくすると、警告音が鳴る。これだけはよそ見してるときとかにうれしい機能だった。

それから、アイドリングストップが徹底していて、信号で車を停めるとすぐにエンジンを停止する。このタイミングが絶妙に、昔マニュアルで免許をとったときにやらかした、「エンスト」と同じタイミングで、結構イライラする。

さらに、スマートアシストとはたぶん関係ないが、運転席のモニターで、「その運転がエコかどうかがパーセントで表示される」のが、すごくうっとおしかった。僕は「気にしぃ」なのでものすごい頻度でその表示を見てしまう。

それはつまり表示に気をとられるその時間、安全確認が途切れるということであり、外の景色を楽しむ時間が削られるということなのだ。

エッセの修理が終わって返ってきて、その運転席に座ったとき、何もかもがシンプルで、いかに新型ムーブのフロントモニタがゴタゴタしたものだったかを痛感した。

このさき発売される車というのはどれもこんな感じなのだろうか。購入意欲がそがれる。

エッセはいい車だ。キビキビ動く。自分の手足の延長のように動かせる(手はいらない)。それに、余計なお節介をしてこない。

手放さずに乗り続けようと思う。